ベツレヘム(アラビア語: بَيْت لَحْم (Bayt Laḥm バイト・ラフム(標準語)、ベート・レヘム(口語)、「肉の家」の意)、ヘブライ語: בֵּית לֶחֶם (Bēth Leḥem ベース・レヘム、現代音 Beyt Leḥem ベイト・レヘム、「パンの家」の意))は、パレスチナのヨルダン川西岸地区南部のベツレヘム県の県都。 2016年の推計人口は3万1799人。 経済は主に観光で成り立っている。
ヘブライ語聖書ではダビデの町とされ、新約聖書ではイエス・キリストの生誕地とされている。世界最古のキリスト教共同体が存在したが移住のため縮小していった。529年にサマリア人によって奪われたが東ローマ帝国のユスティニアヌス1世が再建した。637年、イスラム教の正統カリフ、ウマル・イブン・ハッターブによって征服された。1099年、十字軍はベツレヘムを陥落させた後、要塞化しギリシャ正教の神父からカトリックの神父に換えた。サラディンに街が落とされるとカトリックの神父は追い出された。1250年に始まるマムルーク朝により壁が破壊されたが、オスマン帝国の時代に再建された。
第1次世界大戦中にイギリスがオスマン帝国からその支配権をもぎ取ると、それは1947年のパレスチナ分割決議につながっていった。1948年第一次中東戦争が始まりヨルダンが併合した。1967年の第三次中東戦争ではイスラエルに占領された。1995年以降、ベツレヘムはパレスチナ自治政府が治めている。
ベツレヘムではムスリムが多数派だが、パレスチナにおける最大級のキリスト教コミュニティーも存在する。ベツレヘムの主要産業は観光で、クリスマスのピーク時には降誕教会への巡礼者が大勢押し寄せる。ベツレヘムはおよそ30件のホテルと300軒の手工芸品工房が存在する。
ユダヤ教の重要な聖地、ラケル廟(英語版)はベツレヘムの北部に位置する。ベツレヘムと同様に宗教的に重要な都市であるエルサレムとは10kmほどしか離れていないが、現在はイスラエルが建設した壁によって隔てられている。
ベツレヘムは地中海性気候に属し、夏は暑く乾燥しており冬は寒い。
冬(12月中旬から3月中旬)の天気は寒く降水もある。1月が最も寒い月で気温は1°Cから13°Cほどである。5月から9月までは暖かく、8月は最も暑い月で30°C以上となる。ベツレヘムは年平均700ミリの雨量があり、そのうち70%は11月から1月にかけてである。
ベツレヘムの年平均相対湿度は60%で1月から2月にかけてが最も高い。5月に最も低くなり、夜露は年間で最大180日発生する。昼を中心に発生する地中海からの風の影響を受けるが、4月から6月中旬にかけてはアラビア砂漠のハムシンと呼ばれる熱風にも影響を受ける。
ベツレヘムには民間企業が運営する3つのバスターミナルがある。
バスはエルサレム、ベイト・ジャラ、ベイト・サフール、ヘブロン、ナハリン、バティア、アル・ハデル、アル・ウベイディヤ、ベイト・ファジャー行きが運行している。
2つのタクシー乗り場からはエルサレム、ベイト・ジャラ、ベイト・サフール、テコア、ヘロデオンに向かうことができる。レンタカーもムラドとオラービーの営業所が存在する。西岸地区のバスとタクシーの免許ではイスラエルに入国することが出来ず、エルサレムにも許可なく入ることは出来ない。
イスラエルが建設した分離壁は市街地の北側に沿って建てられ、数mの範囲内に片側にアイダ難民キャンプがあり、反対側にイスラエルの地区が存在している。ベツレヘム都市的集積地域から他の西岸地区への出入りはイスラエルによる検問所と道路封鎖により困難になっている。西岸地区からエルサレムに向かうベツレヘムの住民は許可制となっている。
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